7's Essay

独り言だけど誰かに読まれたい散文と短歌。

書き出しと最後が全然合わなくてそういう日だと諦めもする

書く場所ができたと思ったら、書こうという欲求がおさまってしまった。

書きたいもやもやはたくさんあるのだけれど。仕事のこと、幼稚園のいろいろ、進まない原稿に製本作業……。肉体の痛みとやる気が反比例するようになったのは老化だな、と思う。老化だから仕方ないという気もするし、うまく付き合っていかないと、という気持ちはあるが、まだ慣れるわけにはいかない。

 

創作TALKでいろんな記事を読んで、正直みんなすごいなーすごいなーすごいなーで止まっている。計画とか今後の方向性とか、考えたい気もするだけれど、まず目の前の締め切り。まず目の前のやりたいこと、やるべきこと、子どものご飯、今日中の仕事、はたらかない脳みそ。これに焦りを覚えなくなった。焦ってイライラして子どもに当たりたくない、子どもに不機嫌でいたくない、というのが大きい。

わたしの母は鬱病で、中学の頃のわたしは家に帰るのが憂鬱だった。どんなに楽しいことがあっても、家に帰ったら母は寝ていて具合が悪そうで、わたしの楽しいことはそこに持ち込んではいけない、という気がしていた。だから、わたし自身が嫌だったことを子どもたちにはしたくないのだろうとぼんやり思っている。

わたし自身鬱があるので、いつまでこれがもつかわからないし、長女は時々、わたしが腕から血を流して泣いていたことがあったよね、と言う。わたしの記憶にはない。おそらく次女が産まれてから一年の間のことではないかと思う。記憶がすっぽり抜け落ちている。夫が仕事が休みではない日は毎日、長女も次女も泣いていた。寝かしつけを同時にできなくて、どちらかが泣いている間にどちらかが寝ることが大半だった。次女が家に帰ってきた日、どうにもならなくて長女は義実家へ泊まってもらった。

親が大変だったり心が痛かったりはどうでもいいけど、子どもたちには本当に可哀想なことをしたと思う。

 

産まなければ、とは言わない。

それだけは絶対に思うことも口に出すこともしない。今生きている子たちへの侮辱が過ぎる。もっとうまくできれば、といわれても正直人間には限界がある。記憶がすっぽりないほどの一年をもっとうまくとかいわれてもちょっと……無理がありすぎて建設的ではない。兄弟姉妹を産みたいなら最低5年は離した方がいいよってぐらいかな。今年子となった子ども二人は双子のように年齢差を感じさせず仲が良いけれど、1年、二人とも泣かない日はなかった。悲しい思いをしない日がなかった、ということ。特に長女はつらかっただろうと思う。それでも、おそらく定型発達の子よりは楽だったのではないかと思う。

最近長女は発達障害自閉スペクトラム症の社会的コミュニケーションにおける難しさの特徴がみられて、支援センターへ通っている。

発達障害そのものは何でもない、とはいわないが、親として子のために適切な対応が取れるよう努力していかなければと思っている。難しいとは思っているけれど、わたしは子どもたちの可能性を信じている。信じることができる。なぜなら子どもたちがわたしより劣るとは思えないからだ。そんな根拠のない信頼が我が子へある。少なくとも今は、わたしと子どもたちの間に信頼関係がある。これがなくならないようにしないといけない。親がいないとなんにもできないはいけないが、親が、家が、信頼できる安心できる場所であることは重要だ。

わたしのとっての実家は、もうそういう場所ではなくなってしまっている。もちろん大人になったら自分でその居場所を築く必要があるし、わたしはとりあえずではあるけれどその場所をなんとかした。

 

ただ、2011年3月11日の午後、東京の職場のテレビで見た津波。あのとき、足から力が抜けるという感覚を初めて味わった。田んぼがあっという間に呑まれていくあれが、自分とつながっているなにかを壊した、と思った。結果として福島の祖母の家は無事だったけれど(その後原発のせいで無事とは何かみたいなことにはなるが)、自分ごととして捉えた一瞬の途方も無さは、忘れることはない気がする。あらゆる意味での当事者は、東日本大震災を抱えて生きていくしかない、良くも悪くも。

この日に願う気も祈る気もないが、歴史の一部として記されて、忘れられていったらいいと思う。そうやって癒されていくことも大事だ。少なくともわたしが親なら、あの震災で子を残して死んだなら、子に願うのは幸せだ。防災は大事だけれど、それに捉われないで欲しいと願うだろう。逆にもし我が子を亡くしていたら自死したかもしれないし、一生涯忘れられないし、忘れることなんて許されないと思うだろう。すべての人間に同じ業を望むだろう。

違う人間が同じ想いを抱くなんて無理なんだからそれぞれ好きにするしかないのだと思う。地震があった時刻、わたしは幼稚園でスマホをいじりながら子どもが作ったドングリの殻ぶどうジュースをごくごくしていたのではないだろうか。