7's Essay

独り言だけど誰かに読まれたい散文と短歌。

ちゃんとする、ができなくなった。ちゃんとしてなくても息はできると知った

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ひとりごとの置き場所として大分前につくったのに、そのまま放置していたのを発掘してきた。

2022年。新しい年、なんて雰囲気はない。

喪中をいいことに新年のいろいろを何もしていないせいもある。雑煮をつくったのと餅を買ってきたのとついったの企画・創作TALKを今年も開催したぐらい(記事での参加はしていない)。

していないことはたくさんあるけれど、大きいのは今年は日記帳を購入しなかったこと。昨年は忙しすぎて、日記を書く気が途中で潰えた。この忙しさの説明をするために平日のタイムスケジュールの一例を書き出してみた。

 

●6:30〜7:00

子ども起床(だいたい一瞬だけ起きて再度沈む) 

 

●7:30〜9:00

起床、子どもたちの朝ごはん準備、洗濯機を回す、子どもたちの幼稚園の支度、幼稚園へ車で送っていく(5分)

 

●9:00〜9:30

帰宅。洗濯物を干す、仕事スタート。

 

●10:00〜14:00

仕事。余裕があればお昼を食べながら仕事。

 

●14:00〜14:30

大体14時5分とかに家を出る。最近は30分ぐらいで家に戻れることが多いが、幼稚園の園庭で遊んだりマクドナルド食べたいとかなると戻るのが15時頃に。

 

●14:30〜15:00

帰宅。子どもにおやつを出す。

 

●15:00〜18:00

仕事。間にいろいろ起きる。

 

●18:00〜21:30

夕飯準備、夕飯、風呂、寝かしつけ、間に仕事。仕事の状況によっては夫にご飯を買ってきてくれと連絡したり、冷凍ご飯を出したり。状況によっては幼稚園のPTAのLINEが揉めてたり。

 

●22:00〜

起きる。終わっていない仕事を片付けようと思うがだいたいついったを眺めたりしているがそれでもTODOリストぐらいは書き出してなにをどうやってもおわんねぇやという事実に直面。とりあえずやりたいことから手をつける。やりたいことじゃないとなにも手をつけられずに終わる。そういうときがある。そして遅くても1時ぐらいには意識がしぬ。この前2時半までがんばれたけどあれは奇跡。次女がうなって見にいったらそのまま寝た。

 

はい、ここに手帳とか入れるの無理! 書き出すとか無理!! 手帳の無駄使い!!! そんな暇があるなら小説を書こう! 絵を描こう! 短歌を詠もう! 本を読もう! という意見が具体的に出たわけではないけれど無意識領域で無理の一択。

ということで今年は手帳を用意しなかった。一覧性のあるものはほしいので自作しようと思ってそれどころではない。本当に毎日がそれどころではない。仕事が忙しすぎるのが一番問題なのだがこれからのことを考えるとお金がないと困る。だがお金を得れば得るほど税金も増えてつらい。八方塞がり。つまりすべてをちゃんとすることはできない。現状の生活では無理。

 

子どもが一番大事だ。大事にしなくてはいけない、ではなく、明らかにわたしの中でこども二人が一番大事で大切だ。そして子どもたちはわたしを真っ当な人間に近づけてくれる。

この子たちが死にたいと思わないような人生を歩んでばあちゃんになって死んでくれたらと願っている。

自分以外のことは最終的に願うしかないということがわかってきた。もうすぐ40歳だから。

40という年齢への実感が薄かったのが、体のあちこちがうまく動かなくなってきたことで老化を意識した。若くない、ということは死により近いということ。でも精神が老いたかというとそんな感じはない。成長を感じない。肉体が老いないとあまり意識しない気すらした。老いてきたことを意識するということは、母親という位置付けになったときよりもずっと周囲の目を意識した方がいいんだろうなぁと思いつつ、それどころではないので今まで通りだと無意識に放り投げた。ただ運動はしないとダメだと感じたのでする。それだけでいい。女であることも若いことも意識したことがあまりない。ならこれからもそうでいい気がした。

 

誰かに助けて欲しいと願っていた子どもは、誰にも助けてもらえなかった。だから、誰かが助けてといったときは助けにいけるようでありたい。

そんな自分であれるのは、わたしの家族ではなかったひとたち、今家族であってくれるひとたちとの出逢いである。

 

どうなるかわからない世の中だけれど、昔の私のように、いつ死のうかどう死のうか考えていないだけ大分マシなので、忙しいなりになんとか生きていく。

ちゃんとできなくても、誰にも助けてもらえなくても、わたしはちゃんと生き延びた。